東京地方裁判所 平成8年(ワ)11137号 判決 1997年10月23日
原告
片外トミ
外三名
原告ら訴訟代理人弁護士
有馬幸夫
被告
東京衣料株式会社
右代表者代表取締役
清水宏祐
右訴訟代理人弁護士
内野経一郎
同
仁平志奈子
同
浦岡由美子
同
中田好泰
同
三輪香織
主文
一 原告らが被告に賃貸している別紙物件目録記載の土地の賃料は、平成八年五月一日以降月額金八八万一〇〇〇円であることを確認する。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
原告らが被告に賃貸している別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)の賃料は、平成八年五月一日以降月額金九九万四四二一円であることを確認する。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 被告は、昭和二八年三月ころ本件土地を片外愛之助(以下「愛之助」という。)から賃借していたが、昭和五〇年一一月一四日に愛之助が死亡し、原告らが賃貸人の地位を承継した。
2 原告らは、被告に対し、平成八年四月一六日到達の書面により、本件土地の賃料を同年五月一日以降月額九九万四四二一円に増額する旨の意思表示をした。
二 争点
本件土地の平成八年五月一日時点における適正な賃料額はいくらか。
第三 争点に対する判断
一 賃料増額事由の存否
1 右争いのない事実、証拠(甲一ないし一一、乙一、二)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 本件土地は、南側が幅員約四〇メートルの道路(靖国通り)に面する長方形の土地で、愛之助がもと所有し、現在は原告らが共有しており、地価公示地(千代田区五―四)に指定されている。
(二) 原告らと被告は、昭和五九年三月六日に本件土地の賃貸借関係につき、借地条件を堅固建物の所有の目的、契約の期間を五八年間、賃料を月額二一万三〇〇〇円とする旨合意したが、その際被告は原告らに対し、一時金として四二四〇万円を支払った。その後被告は、本件土地上に鉄骨鉄筋コンクリート造九階建のビル(以下「本件建物」という。)を建築し、現在に至っている。
(三) 本件土地の賃料は、昭和五九年四月以降月額二三万八六〇〇円と合意されたが、その後の賃料については、合意が成立しなかったため、次のとおりいずれも原告らから増額請求訴訟が提起された。
(四) 本件土地の昭和六二年四月一日以降の賃料については、原告らが増額請求訴訟を提起したが、同年一二月一七日に成立した訴訟上の和解により、月額四五万円と合意された。その後、本件土地の昭和六三年四月一日以降の賃料については、原告らが増額請求訴訟を提起し、判決により月額四八万円であると確認された。
(五) 本件土地の平成二年六月一日以降の賃料については、原告らが増額請求訴訟を提起し(東京地方裁判所平成二年(ワ)第一一〇〇七号)、一審判決を経たのち、平成五年三月一〇日に言い渡された控訴審判決(東京高等裁判所平成四年(ネ)第一七〇八号)により、月額五四万一〇〇〇円であると確認された。なお、右控訴審判決は、右(二)の四二四〇万円の三割に当たる一二七二万円は、賃料の前払いに当たると認め、これを年六分で運用し、かつ賃貸借期間満了時(五八年後)に零になる前提で償却額を計算した結果、月額六万六〇〇〇円を賃料の算定に当たり考慮すべきである旨判示した。以下の裁判では、いずれも右六万六〇〇〇円を前払いとして賃料から控除する取扱いが行われている。
(六) 本件土地の平成三年四月一五日以降の賃料については、原告らが増額請求訴訟を提起し(東京地方裁判所平成三年(ワ)第六二五九号、同四年(ワ)第七六一四号)、平成五年一〇月二六日に言い渡された判決により、平成三年四月一五日から平成四年三月三一日までは月額六二万二〇〇〇円、同年四月一日以降は月額六九万二〇〇〇円であると確認された。
(七) その後、原告らは本件土地の平成六年五月一日以降の賃料につき増額請求訴訟を提起し(東京地方裁判所平成六年(ワ)第九七五三号)、平成七年八月三一日に言い渡された判決により、月額七九万三〇〇〇円であると確認された。
被告は、右判決に対して控訴(東京高等裁判所平成七年(ネ)第四〇五二号)及び上告(最高裁判所平成八年(オ)第一五七四号)をしたが、いずれも棄却された。
(八) 原告らは、本件請求に先き立つ本件土地の平成七年五月一日以降の賃料についても増額請求訴訟を提起し(東京地方裁判所平成七年(ワ)第二一二八五号)、現在係争中である。
(九) 本件土地の固定資産税及び都市計画税の合計(以下「公租公課」という。)は、平成四年度が五四四万八七四一円であったところ、平成六年度は六二六万六〇五三円、平成七年度は六七三万六〇〇七円、平成八年度は七〇七万二八〇七円にそれぞれ上昇している。
2 右によれば、平成六年四月一日以降月額七九万三〇〇〇円とされた本件土地の賃料は、その後の公租公課の増額に照らし、原告らが賃料の増額請求をした平成八年五月一日時点では、不相当に低額となっていたことが認められる。
3 被告は、公租公課の増額は、国の行政に根本的な責任があり、賃料を増額することによってこれを被告に転嫁することは違法であるから、賃料増額を認めるべき事情とはなり得ない旨主張する。しかしながら、公租公課は、原告らが本件土地を所有することから直ちに負担を余儀なくされるものであり、その増減は原告らの必要経費の増減に直結する性質のものであることが明らかであるから、その増額が、賃料額を増額すべき要因の一つとなりうることは明らかである。被告の主張するように、公租公課の増額につき国に根本的な責任があるかどうかはともかくとして、これを原告らに受忍させなければならない理由は存しない。
被告は、右七九万三〇〇〇円以上に賃料が増額されると、本件建物の現状の賃料収入ではこれをまかなえなくなる旨主張する。しかしながら、本件全証拠によっても、被告が本件建物をどのように賃貸に供しているか及び賃貸部分に関する収支状況は明らかではない。また、被告が本件土地を賃借し、その上に本件建物を所有し、その一部を他に賃貸して収益をあげる方法を選択した以上、土地の賃料と建物賃料との収支が均衡を失すること自体は決して稀ではなく、あくまでも、被告が自らの責任において解決すべき事項であるとも考えられる。そうすると、仮に被告の主張するような事情が存するとしても、それは、あくまでも被告側の事情に過ぎず、前述した原告らの賃料増額事由を否定すべき事由にはなり得ない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
二 そこで、本件土地の相当な賃料額について検討する。
1 争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件訴訟は、当裁判所の職権により自庁調停に付され(東京地方裁判所平成八年ユ第一一二号)、調停委員会による審理の結果、平成九年六月四日付けで調停に代わる決定が行われた。
(二) 調停では、不動産価格に関する専門的知識を有し、右調停委員会を組織する民事調停委員若林眞(以下「若林調停委員」という。)が、別紙意見書(ただし、一枚目の(注1)に「中央五―四」とあるのをいずれも「千代田五―四」、二枚目五の2に「動修正率」とあるのを「変動修正率」とそれぞれ改める。)記載のとおり、差額配分法及びスライド法によって賃料の額を算出した結果、平成八年五月一日時点の本件土地の賃料を月額八八万一〇〇〇円とする意見(以下「若林意見」という。)を提出した。
(三) 調停委員会を構成する裁判所は、若林意見を前提として前記決定を行ったが、被告が右決定に対して異議を述べたため、本件は訴訟手続に移行した。
2 当裁判所は、前記一認定の原告らと被告間の従前の紛争経緯並びに右1認定の本件訴訟及び調停の経緯に従い、本件では、若林意見に対する当事者双方の意見を徴したうえで、若林意見を改めて検討し、これを変更するかどうか判断することとした。原告らは、若林意見に対して特に意見を述べなかったが、被告は、若林意見に対して次のとおり種々主張するので、まずこれらについて判断する。
(一) 被告は、若林意見は、積算法の前提となる正常実質賃料を算定するに当たり、試算賃料を直ちに純賃料として使用し、賃貸事例比較法や収益分析法に基づく試算賃料の判定、比較考量を行わなかった違法がある旨主張する。
しかしながら、若林意見は、別紙意見書記載のとおり標準画地の更地価格を求めたうえ、これに個別格差率、地積及び相続税路線価に基づく底地割合をそれぞれ乗じ、期待利回りを乗ずる前の基礎価格(二億三三一七万円)を算出しているが、右算出の経緯、金額に照らせば、右基礎価格は相当であるから、若林意見がさらに賃貸事例比較法や収益分析法に基づく試算賃料を算出、勘案しなかったからといって、不相当であるとはいえない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
(二) 被告は、若林意見が用いた年2.5パーセントの利回りは、バブル経済崩壊後の不動産取引の実態を反映していないから、不当に高額である旨主張する。
しかしながら、前記認定の本件土地の形状、立地条件、前記一1(六)の一審判決が判断の試料の一つとした鑑定結果(甲九)に記載された日税不動産鑑定士会発表の東京都千代田区における商業地の平均的活用利子率及びその他本件に現れた諸般の事情を勘案すれば、年2.5パーセントという利回りが不当であるとは認められない。被告は、現在の建物の賃貸が低迷しているという状況に照らせば、土地所有者側の事情のみを考慮することは相当ではない旨主張するが、前述のとおり、採用できない。
(三) 被告は、若林意見が差額配分法において行った原告ら、被告各二分の一という差額配分は、原告らと被告との間における従来の賃貸借の経緯を考慮しない形式的なものであるから不当である旨主張し、証拠(乙二)中には右に沿う記載がある。しかしながら、前記認定によれば、被告は、本件土地の賃貸につき、昭和五九年以降借地条件を堅固の建物所有目的にすることができ、また、存続期間も大幅に延長されたのであって、借地権者としては、大きな利益を享受しているといえる。こうした事情を勘案すれば、貸主である原告らに帰属すべき差額賃料を二分の一とした若林意見の結論を改めるべき事由は認められない。
被告は、昭和三六年七月一日に愛之助と被告との間で本件土地の借地条件の変更及びビルの建築について合意が成立し、この時点で本件建物と同様のビルの建築を計画していたのに、その後愛之助と片外美恵子との間に紛争が生ずるという原告ら側の事情で、右計画が昭和五九年三月六日まで遅れたため、被告が多大の損害を受けたという点を考慮すべきである旨主張する。しかしながら、本件全証拠によっても、昭和三六年当時、そのような合意が成立していたことを的確に認めることはできないから、右主張はその前提を欠くものとして、採用できない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
(四) 被告は、本件土地の従来の賃料は、当事者双方の主観的事情を適正かつ公平に反映していないから、本件においてスライド法を採用することは、従前の当事者間の不公平がいつまでも維持されることになり、不当である旨主張する。
しかしながら、前記認定によれば、本件の賃料に関しては、昭和六二年四月一日以降当事者間で合意が成立しなかったため、原告らから賃料増額請求訴訟が順次提起され、それぞれ鑑定又は調停における鑑定が実施されたうえ、昭和六二年四月一日以降は和解により、昭和六三年四月一日以降はいずれも判決により、順次相当賃料額が決定されてきたという事情があるところ、これら和解又は判決は、それぞれの時点における当事者双方の主張及び事情を十分考慮のうえ、妥当な賃料額を算出してきたと認められる。本件土地の従来の賃料が、当事者間の主観的事情を適正かつ公平に反映していないとの被告の主張は、要するに、前記各判決で自己の主張が排斥されたことに対する不服をいうものと考えられるが、前記認定に照らせば、前記和解又は各判決によって決定された賃料が被告の主張するように不公平なものであったとは、到底認められない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
(五) 被告は、若林意見は、スライド法を用いるに当たって、スライド指数として使用した消費者物価指数(総合)をバブル経済の影響を極端に受けた千代田区内ではなく、東京都区部の平均としたこと、従前賃料については、平成六年五月一日時点の月額賃料七九万三〇〇〇円をそのまま採用したことの不当を主張する。
しかしながら、スライド法において使用されるスライド指数に、どのような指標を用いるかは、基本的には、具体的な事例を前提として、事案専門家の行う合理的裁量に委ねられていると解すべきところ、若林意見の用いた右手法は、まさに合理的裁量の範囲内と認められ、むしろ、不動産価格以外の各種指標を使用する消費者物価指数については、東京都区部の平均を採用する方が客観性があるともいえる。また、従前賃料が妥当であることは前述のとおりであり、これをスライド法で基準とすべき賃料とすることには、何ら問題はない。
したがって、被告の右主張は採用できない。
3 以上のとおり、若林意見は、調停案を提示するに当たって作成された意見ではあるものの、調停委員会を構成する調停委員である若林調停委員が、その専門的知識を生かし、調停における審理の過程で現れた事情をも斟酌して行ったものであり、実質的には、証拠調べとしての鑑定と同視できる信頼性を有するものである。当裁判所は、右2における被告の前記各主張、その他乙二で被告の強調する諸点を含め、若林意見における判断の過程、内容、基本となる数値、資料の取捨選択等を子細に検討したが、結局、若林意見の結論は、正当として是認することができる。
したがって、当裁判所は、本件土地の平成八年五月一日以降の賃料は、若林意見に従い、月額九四万七〇〇〇円から、前述の一時金による前払分六万六〇〇〇円を控除した月額八八万一〇〇〇円をもって相当と判断する。原告らの本訴請求は、右の限度で理由があり、その余は理由がない。
三 結論
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官田中敦)
別紙物件目録<省略>
別紙意見書<省略>